日蓮大聖人の御遺命がいかなるものであるかは、御入滅の年に二祖・日興上人に授与された一期弘法付嘱書と、同じく門下一同に遺し給うた三大秘法抄に、太陽のごとく明らかである。
すなわち一期弘法付嘱書には
「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり」
また三大秘法抄には
「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり」と。
以上の二つの御文を拝し、その御聖意を端的に述べさせて頂けば――
日本一同に南無妙法蓮華経と唱え奉る広宣流布の時、日蓮大聖人の仏法を護持し奉るとの国家意志の表明を手続として、富士山に本門戒壇を建立すべし―ということである。
そしてこの御遺命の本門戒壇は、建立に際してことに「勅宣並びに御教書」すなわち国家意志の表明を必要手続と定められていることから、宗門ではこれを「国立戒壇」と呼称してきたのである。
この国立戒壇が建立されるとき、戒壇の大御本尊の妙用により、日本国は真に安泰の仏国となり、さらに世界の人々がこの本門戒壇に詣でるの時いたれば地球上が事の寂光土となる。これこそ大聖人の究極の大願であられる。
ゆえに大聖人はこの国立戒壇建立を一期の大事として、別しては日興上人に、総じては門下一同に遺命あそばされたのである。
この御遺命を奉じて、二祖日興上人・三祖日目上人は死身弘法と国家諫暁に身命を抛たれた。以来冨士大石寺の歴代上人は、ひとえに広宣流布・国立戒壇建立の時を待ち、ひたすら戒壇の大御本尊を御宝蔵に秘蔵し奉って来たのである。
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