池田大作も、曽てはこの本宗の伝統に則り、正論を述べていた。その一つを紹介しよう。
「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華・昭和31年4月号)と。
また細井日達管長も、同じく曽ては正論を述べていた。
「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命である」(大白蓮華・昭和35年1月号)と。
しかるに池田大作は忽ちに「国立戒壇」を捨てた。そして細井管長またこれに唯唯として与同したのであった。
そのきっかけとなったのは、学会の政治進出に対しての、敵対政党や評論家からの「国立戒壇は憲法に違反する」との批判であった。
そもそも国立戒壇は広宣流布の暁に建立されるものであり、その時には当然憲法も仏法に準じて改正される。したがって憲法違反などはあり得ないのだ。しかし選挙に狂奔する池田大作は、この批判を強く恐れた。そして「国立戒壇」は、彼にとって邪魔な存在になったのである。
かくて第六天の魔王その身に入った池田大作は、国立戒壇の御遺命抹殺を企てる。
その手口は、大石寺の境内に「正本堂」と称する巨大な殿堂を建て、これを「御遺命の戒壇」と偽ろうとするものであった。
しかし、このように見えすいた、しかも大それた欺瞞は、池田ひとりではできない。どうしても「時の法主」の権威が必要となる。
そこで池田は、金力に物をいわせて細井日達管長を籠絡した。彼は莫大な寄附によって細井管長の心を蕩かすとともに、「時の法主上人は即日蓮大聖人である」などと権威づけをし、その上で、細井管長に「正本堂こそ日蓮大聖人の御遺命の戒壇である」と言わせた。
そしてこの偽物の戒壇に、恐れ多くも本門戒壇の大御本尊を居え奉ったのである。
およそ戒壇の大御本尊は、広宣流布の暁の国立戒壇に安置し奉るべしとて留め置かれた、御本仏の御法魂であられる。この大御本尊を、あろうことか国立戒壇を否定するための偽戒壇に居え奉ったのだ。これほどの不敬・冒涜がまたとあろうか。このゆえに正本堂を「魔の殿堂」というのである。
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