顕正会発足50周年記念「誑惑の正本堂 崩壊す!!」
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32

見よ、このへつらいを!

 だが、これを聞いた宗門の全僧侶は、犬が主に尾を振るように、一斉にこの悪事を讃えたのであった。
 この発願式に臨んだ宗門高僧らの諂いの言葉が当時の宗門機関誌に掲載されているので、そのいくつかを挙げてみよう。
 当時、宗門の教学部長であった阿部日顕はこう言った。
 「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、始めてその実現の大光明を顕わさんとしている」と。
 また、当時宗会議員で現在能化の大村日統は
 「この大御本尊御安置の本門戒壇堂の建立をば『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ』云々と、滅後の末弟に遺命せられたのであります。その御遺命通りに、末法の今、機熟して、『本門寺の戒壇』たる正本堂が、御法主上人猊下の大慈悲と、法華講総講頭・池田大作先生の世界平和実現への一念が、がっちりと組み合わさって、ここに新時代への力強い楔が打ち込まれたのであります」と。
 佐藤慈英宗会議長は
 「この正本堂建立こそは、三大秘法抄に示されたところの『事の戒法』の実現であり、百六箇抄に『日興嫡々相承の曼荼羅をもって本堂の正本尊となすべきなり』と御遺命遊ばされた大御本尊を御安置申し上げる最も重要な本門戒壇堂となるので御座居ます」と。
 椎名法英宗会議員は
 「『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ』との宗祖日蓮大聖人の御遺命が、いま正に実現されるのである。何たる歓喜、何たる法悦であろうか」と。
 さらに当時宗会議員で現能化の菅野日龍は
 「正本堂建立は即ち事の戒壇であり、広宣流布を意味するものであります。この偉業こそ、宗門有史以来の念願であり、大聖人の御遺命であり、日興上人より代々の御法主上人の御祈念せられて来た重大なる念願であります」と。
 みな口を揃えて、「正本堂こそ御遺命の戒壇、広宣流布は達成」と称えているのだ。どうしたら、このようなでたらめが言えるのか。これらの僧侶には信心がない、大聖人様への忠誠心がないのだ。大事の御遺命を売り渡して平然としているこの無道心、このような輩を「法師の皮を著たる畜生」というのである。肚の底から憤りが込み上げてくる。

 宗門全僧侶のこの諂いぶりを見て気をよくしたのか、細井管長の発言も露骨さを増す。発願式三月後の昭和四十三年一月、細井管長は「大白蓮華」に寄せた一文でこう云い切っている。
 「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」と。
 でたらめも限りというべきである。

正本堂着工法要

 そして同年十月、正本堂着工大法要が行われた。席上、池田は
 「三大秘法抄の御遺命に云く『霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是れなり』云々。この法華本門の戒壇たる正本堂の着工大法要を、血脈付法の第六十六世日達上人猊下の大導師により、無事終了することができました」と述べた。
 さらに翌四十四年十月、正本堂定礎式が行われた。この定礎のカプセルの蓋には
 「此の正本堂は……法華本門・事の大戒壇である」と刻まれていた。
 このように、誰人も背けぬ絶対権威の「法主」と、最高権力者・池田大作が一体になっての連々たるまやかしの儀式により、正系門家から国立戒壇建立の御遺命は、完全に消え失せたのであった。

 三年後には、いよいよ正本堂の落慶式が行われることになっていた。そして池田は、この落慶式において細井管長に「広布達成」と「御遺命の戒壇成就」を公式に宣言させ、大誑惑を完結させる予定であった。


Copyright (C) 2004 顕正新聞社 冨士大石寺顕正会 All Rights Reserved