顕正会発足50周年記念「誑惑の正本堂 崩壊す!!」
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「四ヶ条を承伏せよ」

 ところが、細井管長はまたも池田に巻き返された。
 翌朝、細井管長から直接電話が入った。管長はいきなり「メモを取って下さい」と念を押し、一方的に次の四ヶ条を申し渡した。
 
 一、日蓮正宗を国教にすることはしない。
 二、国立戒壇とは云わない。民衆立である。
 三、正本堂を以て最終の事の戒壇とする。
 四、今日はすでに広宣流布である。だから事の戒壇も立つのである。

 
 さらに細井管長は付け加えた。
 「これは日蓮正宗の管長としての決定です。だから、必ずこれに従って下さい。こうしなければ、現在の宗門はもう統率できないのです。そしてこのことは、五月三日の学会総会で発表します」と。
 このときの細井管長の声は、御遺命に背くことの恐ろしさからか、かすれ、そして舌はもつれていた。
 私は申し上げた。
 「只今の四ヶ条、断じて承伏できません。このようなことをなされば、将来、猊下のお徳に傷がつきます」と。
 細井管長は黙しておられた。

「国立戒壇放棄」の公式宣言

 そして昭和四十五年五月三日、多くの報道関係者が詰めかけるなか、学会の総会が行われた。席上、細井管長は、宗門の公式決定として「国立戒壇の放棄」を宣言し、また「正本堂は事の戒壇である」とも言った。一宗の管長としてのこの発言は、重大であった。
 すでに細井管長は、全く学会の傀儡そのものだった。蔭でこれを操るのは池田大作である。よって池田を抑えなければ、正本堂の誑惑を訂正させることはできない。
 私は意を決して、宗務院の早瀬総監に、「猊下の御前で、池田会長と話し合いたい」と伝えた。
 ことの重大さを感じた総監は、直ちにこれを取り次ぎ、会談は五月二十九日、総本山対面所で行うと決まった。


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