顕正会発足50周年記念「誑惑の正本堂 崩壊す!!」
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対面所で学会代表と論判

 しかし当日、池田は姿を見せなかった。替って出て来たのが、当時副会長の秋谷栄之助、同じく副会長の森田一哉、そして和泉覚理事長の三人だった。
 直ちに細井管長の面前で論判が始まった。激しいやりとりの末、秋谷らは追いつめられ、ついに言葉を失なった。勝敗が明らかになった段階で、細井管長はおもむろに口を開き、学会幹部に伝えた。
 「正本堂は三大秘法抄に示される御遺命の戒壇ではありません。広宣流布もまだ達成されておりません。どうか学会は訂正して下さい」
 それは、頼みこむような口調だった。
 秋谷は血相を変えた。
 「私たちは、すべて猊下の御指南に従って今日まで正本堂建設を進めてきたのです。それを今さら…。これほど重大なこと、自分たちには決められない。後日ご返事を申し上げる」
 云いおわると、三人は席を蹴るようにして退席した。
 しかし数日後、彼等は手の平を返したように恭順の意を示した。ここで「法主」に逆らっては不利になると思ったに違いない。三人は細井管長と私の前でこう誓った。
 「猊下の仰せに従い、今後、正本堂を御遺命の戒壇とは絶対に云いません。現在刊行されている書籍においても、すべて改訂いたします」と。

確認書を求める

 しかし私は池田大作の狡猾を見抜いていた。いったんは恭順を装うとも、いずれ再び細井管長に圧力をかけるに違いないと。
 そこで私は対面所を退出した三人をつかまえて云った。
 「今の誓いを後日のために文書にし、双方で確認しておきたい」
 とたんに秋谷の形相が一変した。口頭による誓いすら、驕り高ぶる学会にとっては耐えがたい屈辱であったに違いない。しかるにそのうえ、信徒団体同士で確認書とは何たること、彼は怒りに震え、拒絶した。
 しかし私はその後、幾たびも面会を求めては、執拗にこれを要求し続けた。そのたびに学会は頑強に拒み続けた。会談数度、最後に私は学会本部に乗り込み、秋谷に迫った。


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