顕正会発足50周年記念「誑惑の正本堂 崩壊す!!」
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凶刃 頭上に迫る

 さらに池田は宗務院に対し、信徒団体への罰則規定を宗規に加えるよう要請した。これは訓諭に随わぬ顕正会を解散処分にするための手続きであった。
 そしてまもなく、宗務院から顕正会に通告書が送られてきた。趣旨は
 「池田会長への公場対決申し入れを速かに撤回し、訓諭に随え。さもなければ処分が行われる。一週間以内に弁疎を提出せよ」
 というものであった。ついに解散処分の凶刃は頭上に迫ってきた。弁疎とは言い訳である。御遺命を守り奉る者が、御遺命違背の輩に、言い訳などどうしてできよう。
 私は直ちに返書を認めた。その内容は弁疎などではない。池田の走狗となっている宗務院、ことに悪書を書いた阿部教学部長の破廉恥を真っ向から責めたものである。そして文末に次のように記した。
 「阿部教学部長よ。もし一分の道念だにあるならば、今からでも違法を訂正せよ。あくまで正本堂を御遺命の戒壇と云い切る所存なりや。七月七日までに返報をせよ。もし敢えて違法を強行するならば、すでに止むなし、妙信講は非常手段を以てしても御遺命を守り奉る。立正安国論に云く『もし正法尽きんと欲すること有らん時、まさに是くの如く受持し擁護すべし』と。ただただ在家の本分に殉ずるのみである」と。

二役僧 突如、辞任

 これで解散処分は必至と思われたが、なんと、処分を執行すべき早瀬総監と阿部教学部長が、突如、辞表を細井管長に提出し、行方をくらませてしまったのである。
 後年、阿部日顕と抗争に陥った学会が暴露したところによれば、二人は有馬温泉に逃げ、ひと月近く隠れていたとのことである。学会はこれを「臆病者」と罵ったが、池田大作も公場対決を逃げている。「五十歩百歩」とはこのことだ。
 総監と教学部長が逃げ出してしまったので、宗務院の機能は停止した。そこで池田は、またしても「法主」の権威で事態を収拾しようとした。


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