顕正会発足50周年記念「誑惑の正本堂 崩壊す!!」
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池田大作の背信

 戒壇の大御本尊を遷し奉ったのは、十月七日であった――。が、その空気には訝しいものがあった。何を恐れてか、人目を憚かり隠密裡にこれをなしたのだ。
 もし十月三日の誑惑訂正が池田の改悔と本心から出たものなら、御遷座を誰に憚ることがあろう。しかるになぜ、これを隠密裡に行なったのであろうか。
 その理由を私が知ったのは、後年、池田大作に反旗を翻した原島嵩・山崎正友らが、学会の内部情報を暴露したことによる。
 なんと池田大作は、御遷座六日前の十月一日に正本堂完工式を行なった際、あろうことかローマ法王庁の特命全権大使を初めとするキリスト教神父数名を招き、式典の最前列に並べていた。
これがもし顕正会に知れたら重大なことになる。ゆえに隠密裡の遷座となったのであった。
 さらに池田は、十月十二日の正本堂落慶法要において、参列の全学会員に対し、副会長の福島源次郎を通してメッセージを伝えていた。そのメッセージとは
 「本日、七百年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました。ありがとう」
 というものであった。これこそ、第六天の魔王その身に入りし池田大作の執念であった。
 彼にとっては、確認書も、聖教新聞紙上での訂正も、顕正会を欺く当面の戦術に過ぎず、戒壇の大御本尊さえ遷してしまえば、正本堂のたばかりはどうにでもなる、と踏んでいたのだ。

原島嵩の証言

 落成式でのメッセージが、どれほどの背信行為であったか―。
 このことについて、常泉寺での法論に参加し、また和泉理事長名儀の訂正文を起草した原島嵩教学部長は、このメッセージを聞いたときの驚愕を、学会脱会後に書いた「池田大作先生への手紙」と題する本に、次のごとく記している。
 「私は、それをいちはやく聞くや、すぐに手を打つことを考えました。……これがもしも妙信講の耳に入ったら大変です。……また理事長談話として社会への公表を裏切ることになります。……たとえ池田先生の言葉でありましても、これは阻止しなければならないと決断いたしました。……しかし、そのことが池田先生の逆鱗にふれてしまいました」と。
 原島嵩教学部長が驚愕するほどの背信行為も、池田には予定の行動だったのである。
 かくて池田大作は御遺命を蹂躙し顕正会を欺き、恐れ気もなく戒壇の大御本尊を、偽りの戒壇かつ邪法の神父で穢した不浄の殿堂に、押しこめ奉ったのであった。


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