顕正会発足50周年記念「誑惑の正本堂 崩壊す!!」
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客殿前に大広場造成

 翌六十四年は改元されて平成元年となる。池田は大石寺の大客殿前に大広場を造成して、一年後に迫る「本門寺改称」の式典に備えた。
 この大広場造成のため、広布の暁に勅使が通る門として、七百年来大客殿の正面に在った「不開門」は取り払われた。また日興上人お手植の老杉も切り倒された。かくて中国の天安門広場とも見まごうばかりの大広場が出来上がった。
 池田はこの大広場で、正本堂の落慶式にも勝る大規模な儀式を構想していた。
 それは、まず平成二年九月に「大石寺開創七百年記念文化祭」を開催して「広布達成」を宣言し、つづく十月の慶祝法要でいよいよ「本門寺」の寺号公称を阿部日顕に発表せしめるというものだった。
 この儀式こそ、池田大作の一世一代、そして最後の大芝居であった。
 この池田と連携して、阿部日顕のお追従も一段とトーンが上がった。平成元年九月には
 「法華講総講頭・創価学会名誉会長・池田先生の発願によりまして、目下、全国二百ヶ寺建立御寄進が進められております。……それにつけても総講頭池田先生の尊い発願、……深く感じておる次第でございます」
 さらに翌十月には
 「今日のめざましい正法の世界的興隆発展は、……一にかかって池田SGI会長の大勇猛心による海外指導の賜であり、その大業にたいし、私は心より尊敬する次第であります。また現在及び将来においても、私は池田SGI会長を信頼し、広布の指導のすべてをお願いするものであります」と。二人の癒着は、いよいよ堅固に見えた。


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