顕正会発足50周年記念「誑惑の正本堂 崩壊す!!」
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「修羅と悪竜の合戦」いよいよ始まる

 そしてまたも不思議なことが起こった――。あれほど一体のごとくに見えた池田大作と阿部日顕の間に、細井管長のときと同じような疑心暗鬼が生じてきたのである。
 池田は、阿部日顕が顕正会の諫暁により変心することを恐れ、圧力を加えた。その手口は細井管長の時と同じく、「月例登山」を激減させ、本山を経済封鎖することだった。加えて二百箇寺の建立計画も意図的に遅らせた。
 しかしこの圧迫が、かえって阿部日顕を憤激させたのであった。
 このような中で、平成二年十月十二日、いよいよ大石寺開創七百年慶讃法要が行なわれた。池田の企みのごとくならば、この席で「本門寺改称」が公表されるはずであった。――が、阿部日顕は読み上げた慶讃文の中で、わざと池田に当てつけるように
 「大本門寺の寺号公称は、広宣流布の未来にある」
 と述べた。この`裏切りaを眼前にして、池田大作は怒り心頭に発した。
 そしてこれより「修羅と悪竜の合戦」そのままの、醜悪にして凄絶なる大抗争が始まったのである。
 池田は阿部日顕を猊座より引きずり降ろそうとして、「ニセ法主」「法滅の法主」「天魔日顕」「極悪日顕」などと悪罵を繰り返し、さらに阿部日顕の芸者遊びやシアトル事件などの醜聞を次々と暴きたてた。
 対する阿部日顕も池田を「誑の大謗法者」と罵り、その年の十二月には池田の法華講総講頭職を剥奪、ついで創価学会を破門、さらに池田大作を信徒除名処分にした。

阿部日顕の卑劣

 しかしこの抗争の中においても、正本堂についての阿部日顕の姿勢は卑怯そのものだった。彼は共犯者であったにもかかわらず
 「正本堂を三大秘法抄の戒壇と云い出した一番の元は池田大作だ。宗門は巻きこまれただけだ」(大日蓮・平成3年2月号)
 といって罪を池田ひとりに着せ、己れは被害者のような顔をした。
 そのくせ一方では、正本堂の建物には強く執着し、平成三年の虫払法会の説法ではこう云っている。
 「本宗信徒一同は、正本堂の世界に冠たる素晴らしい建物を仰ぎつつ、その然るに至った広布の相よりして、日達上人の仰せの如く、三大秘法抄の意義を含む大功徳が存すること、かつ、戒壇の大御本尊まします故に現時における本門事の戒壇であり、……常に参詣し、懺悔滅罪すべきであります」と。
 この発言は、正本堂を餌にして多くの学会員を宗門に取り込もうとの、卑しき魂胆から出ている。阿部日顕には、池田への憎悪はあっても、大聖人に対し奉る懺悔はなかったのである。


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