顕正会発足50周年記念「誑惑の正本堂 崩壊す!!」 |
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不思議の還御
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平成十年四月五日の夕刻、本門戒壇の大御本尊は突如、誑惑不浄の正本堂から、元の奉安殿に還御あそばされた。
――何という不思議か。
還御の五日後、顕正会は御遺命守護完結奉告式を奉修した。私は本部会館の御宝前に進み出て、謹んで大聖人に言上申し上げた。
「大聖人様――。本門戒壇の大御本尊が恐れ多くも誑惑不浄の正本堂に居えられ奉ってより今日まで、実に二十六年の長き歳月が流れました。しかるところ、嗚呼ついに、本年四月五日の午後四時、大御本尊は、清浄なる奉安殿に還御あそばされました」
あまりの有難さ、不思議さ、参列の全幹部は感涙をしたたらせ、その嗚咽は場内に満ちた。
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正本堂ついに崩壊
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そしてさらに、正本堂は轟音とともに打ち砕かれ、その醜悪な姿を地上より永遠に消し去った。
まさに凡慮を絶する不思議とはこのことである――。
細井管長は訓諭において、「後代の誠証となす」とのことわり付きで、「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂」と定めたではないか。また「この正本堂に戒壇の大御本尊を永久に安置する」とも公言していたではないか。
さらに池田大作は記念品埋納式において、「七百年後、三千年後、一万年後にこの地下室を開ける」と豪語していたではないか。
ゆえに八百万学会員はこれを信じ切り、慢心の僧侶どもは顕正会の諫暁を嘲笑っていたのだ。
しかるに、わずか二十六年で、正本堂は崩壊したのである。
この凡慮を絶する大現証は、どうして起きたのであろうか。
御本仏は「我常に此に住す」と仰せられている。しかし信心うすき者には「近しと雖も而も見えざらしむ」となる。池田大作ならびに六十六・七の二代にわたる貫首は、信心うすきゆえに大聖人ここにましますを知らず、ゆえにその御目を恐れず、大事の御遺命を破壊せんとしたのである。
だが、大聖人様はこの大悪を断じて許し給わず、ゆえに顕正会をして立たしめ諫暁せしめ、諸天をして学会・宗門を自界叛逆せしめ正本堂を打ち砕かしめ給うたのである。
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