ことは急を要する。私はこの訓諭を出させた池田大作に、公場対決を申し入れた。 その内容は、東京池袋の豊島公会堂に双方の代表各五百名を集め、さらに先の学会総会で国立戒壇放棄の宣言を聞いている報道関係者も加え、その面前で法論し、一挙に邪正を決しようというものであった。 学会からは和泉理事長名で、すぐに返書が来た。「猊下がお許し下さらないので、法論には応じられない」とあった。
その一方池田は、宗務院の阿部信雄教学部長(現・日顕)に、「国立戒壇論の誤りについて」という本を書かせ、これを学会内部で大量に配布していた。 この書は、三大秘法抄の文意をねじ曲げて国立戒壇を誹謗し、正本堂こそ御遺命の戒壇であるとこじつけた大謗法の書である。阿部教学部長は白を黒といいくるめる詭弁の才を買われ、池田の走狗となっていたのである。