顕正会発足50周年記念「誑惑の正本堂 崩壊す!!」
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正本堂完成までの経緯

 では、この魔の殿堂が完成するまでの、まやかしに満ちたその経緯を見てみよう。
 
 正本堂の誑惑は、昭和四十年から始まった。
 この年の一月、池田大作は細井管長に「今や広宣流布」と題する一文を書かせ、これを学会機関誌「大白蓮華」の巻頭に掲載した。これ、偽物の戒壇を建てるに当って、まず広宣流布そのものを偽ろうとしたのだ。
 細井管長は池田の意のままに、「舎衛の三億」というまやかしの論法を用い、「もうすでに広宣流布している」と述べた。

第一回正本堂建設委員会

 次いで同年二月十六日、第一回正本堂建設委員会が総本山で開かれた。委員長に納まった池田はこの席で、初めて細井管長に正本堂の意義を述べさせた。細井管長は正本堂が御遺命の戒壇に当る旨を述べたが、その論旨は矛盾撞着・支離滅裂で、ごまかしに満ちていた。
 だが池田は、このごまかし説法を利用して、「猊下が正本堂を御遺命の戒壇と断定した」と宣伝し、正本堂募金の大キャンペーンを繰り広げ、なんとその年の十月、八百万学会員から三百五十億円の膏血をしぼったのであった。
 そのころ池田は学会の集会でこう言った。
 「いまの評論家どもは『創価学会は国立戒壇を目標にしているからけしからん』といいますが、私はなにをいうかといいたい。そんなことは御書にはありません。彼らはなにもその本義を知らないのです。猊下が、正本堂が本門戒壇の戒壇堂であると断定されたのであります。ですから、皆さん方は『創価学会は国立戒壇建立が目標である』といわれたら、いいきっていきなさい。とんでもない、こんどの私どもの真心で御供養した浄財によって、正本堂が建立する。それが本門の戒壇堂である。これでもう決定されているのですと」
 この言葉を見れば、正本堂を企てた狙いがまさに国立戒壇の否定にあったこと、そしてこのたばかりに「時の法主」の権威を利用したこと、まことに明らかである。

 昭和四十二年になると、誑惑はいよく露骨になる。この年の五月三日に開かれた学会本部総会では、池田は招いた細井日達管長の面前でこう述べた。
 「三大秘法抄にいわく『三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下してLみ給うべき戒壇なり』と。……この戒壇建立を、日蓮大聖人は『時を待つ可きのみ』とおおせられて、滅後に託されたのであります。以来、七百年、この時機到来のきざしはなく、日蓮大聖人のご遺命は、いたずらに虚妄となるところでありました。だが『仏語は虚しからず』のご金言どおり、……七百年来の宿願である正本堂建立のはこびとなったのであります。……なお、正本堂完成により、三大秘法が、ここにいちおう成就したといえるのであり、『立正安国』の立正の二字が、完璧になるのであります」と。

正本堂発願式

 そして同年の秋、正本堂発願式が盛大に挙行された。数千人の僧俗を前にして、池田は仰々しく「発誓願文」を読み上げた。
 「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千余年史上空前の偉業なり」と。
 まことに御本仏の御目を恐れぬ発言ではないか。正本堂を御遺命の戒壇と偽ること自体が許されざる御遺命違背の大悪事なのに、この大悪事を「仏教三千余年史上空前の偉業」と自讃しているのである。


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