顕正会発足50周年記念「誑惑の正本堂 崩壊す!!」
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大聖人の御遺命 耳朶を打つ

「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」

 この御遺命破壊を眼前にして、私は大聖人の御命令を感じた。
 滝泉寺申状には
 「法を壊る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨なり」と。
 撰時抄には
 「寧ろ身命を喪うとも、教を匿さざれ」と。
 そして立正安国論には
 「もし正法尽きんと欲すること有らん時、まさに是くのごとく受持し擁護すべし」とある。
 御本仏のこの厳たる御命令が私の耳朶を打った。私は思った。
 「御本仏の一期の御遺命はいままさに破壊されんとしている。この重大事を見ながら知りながら、もし黙止すれば、大聖人様への不忠これに過ぎたるはない。もうこの身はどうなってもかまわない」と。

「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」 

 かくて、大聖人の御悲しみ御憤りを信心の耳で聞き奉り、護法の一念を四万二千余字にこめ、「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」の一書を認めた。時に昭和四十五年三月二十五日。この諫暁書は宗門・学会の首脳十二人に送附した。
 このとき顕正会はまだ妙信講と名乗っていたが、講員はわずか八千であった。対する学会は八百万、しかも誰人も背けぬ絶対権威の「法主」を擁している。この力関係から見れば、顕正会の抗議など、歯牙にもかけず無視して当然と思われた。
 ところが、諫暁書送達の翌日、宗務院の早瀬道応総監から私に、「猊下がお目通り下さる」と伝えてきた。
 この反応の早さは、学会・宗門が受けた衝撃の強さを物語っている。
 池田大作も細井管長も、この諫暁の背後に、大聖人ましますを感じたのであろう。また私の捨て身の決意を感じて無視できなかったものと思われる。


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