顕正会発足50周年記念「誑惑の正本堂 崩壊す!!」
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32

嵐のごとき悪罵中傷

 解散処分にふみ切ってからの細井管長は開き直った。それはまさに「毒を食らわば皿まで」の浅ましさであった。
 一例をあげれば、「元妙信講員の皆様へ」と題する直筆の手紙を書いて多くの妙信講員宅に送り付けたり、また本山に法華講幹部を集めて「訓諭以外に私の本意はない。国立戒壇というのは本宗の教義ではない。法華講連合会は妙信講と戦え」などと唆したりした。
 同じころ、池田大作は阿部教学部長に二冊目の悪書「本門事の戒壇の本義」を書かせ、これを宗門機関誌に載せさせている。この書は先の「国立戒壇論の誤りについて」に輪をかけた悪書である。三大秘法抄の聖文を切り刻んで正本堂の誑惑を助け、国立戒壇を主張する私を名指しで、「身延系の国柱会・田中智学の亜流」とまで中傷している。
 さらに池田は宗門僧侶、創価学会、法華講連合会の三者それぞれの機関に、私を誹謗する決議をさせ、宗内に周知させた。その趣旨は
 「猊下の戒壇についての御説法に背く者は、大謗法者である」
 というものである。これを承けて、八百万学会員と数万の法華講員は、目を瞋らし歯を剥き、「浅井は猊下に背く大謗法者」と一斉に罵った。

御在世の信心に立ち還る

 だが、このような理不尽な解散処分、いわれなき悪罵中傷にも、顕正会は微動もしなかった。この嵐のなか、私は全顕正会員に総幹部会で大号令を下した。
 「今こそ御在世の信行に立ち還り、遙拝勤行による死身弘法を開始しよう」と。
 並みの信徒団体ならば、解散処分を受ければ潰滅して当然である。まして本山登山も妨害され御本尊の下附もなくて、どうして折伏弘通などできようか。
 だが顕正会には、この解散処分を機に、熱原の法華講衆のごとき御在世の信行が蘇ってきたのである。たとえ御登山を妨害されようと、戒壇の大御本尊様への恋慕渇仰の思いはいよいよ純度を増し、遙拝勤行による熱烈なる弘通がここに開始された。このとき顕正会は一万二千であった。


Copyright (C) 2004 顕正新聞社 冨士大石寺顕正会 All Rights Reserved