顕正会発足50周年記念「誑惑の正本堂 崩壊す!!」
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連々の諫暁

 翌平成四年十一月、顕正会の三十万達成を機に、私はさらに諫状を送った。その冒頭に云く
 「本門戒壇の大御本尊が誑惑不浄の正本堂に居えられ奉ってよりすでに二十年――。その間、顕正会の連々たる諫暁により誑惑すでに破れたるにも拘らず、阿部管長には未だに大御本尊への不敬を解消し奉らぬこと、痛憤に耐えぬところであります。御本仏この無道心を見て、いかに悲憤あそばし給うか」
 さらに末文に云く
 「直ちに戒壇の大御本尊を清浄の御宝蔵に遷座し奉るべし。御遷座こそ誑惑の完全なる清算なり」と。
 しかし阿部日顕は動かなかった。

阪神大震災

 ここに平成七年一月、阪神大震災が発生し、日本の建造物の安全神話は覆った。正本堂は二万トンの屋根に覆われた危険な建物である。私は即刻「建白書」を認めた。
 「もし戒壇の大御本尊に万一のことがあれば、ことは仏法の破滅、全人類の破滅、これ時に当って一閻浮提第一の大事であれば、敢えて強言を構え直諫する」
 「もしこの重大の諫めをなお蔑り無視するならば、御書に云く『法に過ぐれば罰あたりぬるなり』と。すでに身の亡びることの眼前なるを、最後に念告するものである」と。

 だが阿部日顕は、なおも動かなかった。
 この上は、諸天の責めを待つほかはなかった。

一国諫暁に立つ

 平成九年六月、顕正会の弘通は五十万に達した。そしてこの年の春、大彗星が出現した。私は日本の亡国を憂え
 「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」
 の一書をしたため、謹んで本部会館の御宝前に一国諫暁に立つ旨を奉告申し上げた。その奉告文に云く
 「しかしながら、御法魂たる本門戒壇の大御本尊が未だに誑惑不浄の正本堂に居えられ奉っていること、その恐れ多さを思えば身は縮み、未だ御奉公の足らざること、己れの非力、ただ愧じ入るばかりであります」
 この申しわけなさを胸に懐きつつ、最初の一国諫暁に立ったのであった。

「冨士大石寺」を冠す

 この諫暁をなすに当って平成八年十二月、これまで顕正会の名称に「日蓮正宗」を冠していたのを、「冨士大石寺顕正会」と改めた。
 そのわけは、「日蓮正宗」はすでに国立戒壇の御遺命を放棄している。また学会との醜い抗争で国中の嘲りを受けている。どうしてこの宗名を冠して一国諫暁ができようか。よって日蓮正宗の源流たる日興上人・日目上人の清き流れを表わす「冨士大石寺」を冠して立ったのである。
 ちなみに富士大石寺が「日蓮正宗」の宗名を用いたのは、大正元年以降のわずか八十数年に過ぎない。そしてこの八十数年において僧侶が妻帯するようになり、今日の堕落が胚胎したのであった。
 「すべからく清らかな源流に戻るべし」―この思いから「冨士大石寺顕正会」と名乗ったのである。


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