顕正会発足50周年記念「誑惑の正本堂 崩壊す!!」
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ついに確認書に署名

 気圧された秋谷は、ついに不承不承、「御報告」と題する、彼らにすれば精いっぱいの書面を作った。その文面には


正本堂は、三大秘法抄・一期弘法抄にいうところの最終の戒壇であるとは、現時において断定はしない。

 とあった。これまで数年間、池田会長以下学会全幹部がこぞって、正本堂を御遺命の戒壇と断定し宣伝してきたことを、ここに自ら否定したのであった。
 この確認書の署名は、昭和四十五年九月十一日、池袋の法道院において、宗務院の早瀬総監・阿部教学部長・藤本庶務部長の三役僧立ち会いのもとに行われた。
 この確認書の持つ意味は重大であった。なぜなら、正本堂の悪事を企んだ当事者たる学会と、これを訂正させた顕正会(当時妙信講)が共に署名し、宗務役僧が立ち会った上で「法主」のもとに収めた文書である。まさに事実上の、全宗門合意の確認書であった。
 ゆえにこれ以後、学会の文書から誑惑の文言は全く消え、宗門僧侶の正本堂讃嘆の声もピタリと止まった。


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