顕正会発足50周年記念「誑惑の正本堂 崩壊す!!」
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第三次諌暁に立つ

対政府「欺瞞」回答の撤回を迫る

 さて、前述の池田の背信行為を当時まだ知らなかった私は、落慶式の翌年、宗務院に大石寺登山を願い出た。
 ところが宗務院は思いもよらぬことを云ってきた。「国立戒壇を捨てない以上、登山を許可することはできない。これは猊下の仰せである」と。
 この無慚無愧を見て私は、「御遺命守護の御奉公未だ終らず、徹底してその悪を断つ」として、第三次の諫暁に立った。
実は、宗務院にこれを言わせた池田は、正本堂の欺瞞が世間に露見することを恐れていたのであった。――ということは、学会は昭和四十五年、共産党の質問主意書に基づく政府の照会に対し、「国立戒壇などは大聖人の本意ではない。宗門立の正本堂こそ御遺命の戒壇である」旨の欺瞞回答をしていた。ゆえにもし顕正会が今後さらに声を大に国立戒壇を主張すれば、この欺瞞が露見してしまうと、危惧していたのである。
 私は、政府に対するこの欺瞞回答こそ国家を欺いた悪の根であるとして、昭和四十九年七月、野外集会を開き、池田大作に対し
 「八月十五日までに欺瞞回答を撤回せよ。さもなければ妙信講が政府に対し訂正をする」旨の文書を突きつけた。

解散処分下る

 ここについに、解散処分が下った。池田大作と細井日達管長は「妙信講が存在する限り、御遺命破壊の悪事が露見する」と恐れ、妙信講の抹殺に踏み切ったのであった。
 解散宣告書は管長細井日達の名を以て発せられた。時に昭和四十九年八月十二日。
 処分理由は「国立戒壇を主張し、正本堂訓諭に随わぬゆえ」とあった。
 この宣告書を手にしたとき
 「大事の御遺命が破壊されんとしているのに、妙信講だけが安穏では、いかにも大聖人様に申しわけない。これで一分でも申しわけが立つ」との思いが胸に湧いたこと、今でも憶えている。


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